中学校の時、当たらなかった球が、中年になって急に当たるわけはない。ところがそんな状態なのに、中学時代と違って不思議に楽しい。理由は、ほかでもない汗をかくことの快感と、終わった後のピルのうまさを知ったからである。一緒に打ちあった社員もまた、まともに球を打てる人はほとんどおらず、パカにもされなかった、ということもある。思えば、なんと長い間、太陽の下で走り回ったり、汗をかいたりしたことがなかったことか。をやって、昼夜を取り違えた生活であった。四十代に入ってようやく、私は本来の人間らしい喜びをで知ったのである。ところが、それからが大変だった。中年の恋は命取りになる、と言うが、それは人聞が相手ばかりではない。すっかりテニスに、というより、太陽の下を走り回る快感に取り愚かれた私は、公営のコ1トを借りては、テニス好きの友だちと球を追いかけつづけるようになったのである。そのうち、ただ走り回るだけでは満足できなくなってきた。やはり、うまくなってゲムをしたい。このままでは試合はおぼつかない。そのうえ、よくは分からないのだが、どうもフォームがなってないようだ。自己流でやっていても、それこそ天才でもないかぎり絶対うまくなれない、スクールというのに行かなければだめだ、と気づくのにそれほど時聞はかからなかった。こんな私でも教えてもらえばなんとかなるかもしれないと、世田谷にある『東京テニススクール』に入ることにした。ところが、レッスンを受けてみると、ある程度ゲムができるようになるには、週一回のレッスンでは到底無理だ、ということが分かったのである。あせ私は焦った末に決めた。仕方がない、思い切って毎日受けよう、そのために仕事にさしっかえるととがあってもいい、これ以上仕事を増やしたり、新しく開発するのはやめて、テニスを覚えよう:::。呆れた話だが、私はすっかりテニス中毒になっていたのだ。、とミュージシャンが不健康ア体育会系統の人間とミュージシャンの共、増県それほどまでにテニスに入れこんでも、上達はさっぱりだったが、私はこのスクールで、またまた新しい人種を発見して、すっかりうれしくなり、この連中の観察にテニスと同じくらい多大なエネルギーを燃やすことになった。その人種とは、体育会出身、コーチのおにいさんがたであった。彼らは、ヤクザ、ミュージシャンの次にユニークな存在だ。とにかく、明るいったらない。だから裏がないのです。

彼自身も教えることに「入って」きており、やめたくないのだ。ね彼はただ黙々と球を打たせ、時々注意を与え、それも初心者からベテランにまで、十年一日のごとく閉じことしか言わず、その中で生徒が何かを掴んでいくことを望んでいる。まったく驚いたことに、彼は初心者にもベテランにも同じ注意をする。つまり、彼は「職人」なのであった。素晴らしいものを持っているが、言葉ではうまく伝えられない、とにかく自分の球を受けてみてくれ、そこから何かを吸収してくれ、というしかないのである。今の世の中、こういう「職人」は冷遇される。歓迎されるのは、見た目にカッコよく、耳に心えと〈地いいものばかりだ。同じことを繰り返し教え、長い時聞をかけて技を会得させる、というょうかたぎな地味で目立たない職人気質のコチは、人気がない。復活した。マムシの恭司。そんな彼が、ある時突然、テニススクールをやめる、と言いだした。「やめてどうするんですか?」一年ぶりの出場だから、「スクールを聞きます」「スクールって:::、ここだってスクールじゃありませんか」『東京テニススクール』は、彼が開校したテニススクールで、実務に不向きな彼は、校長の役目は友人に任せて、自分は教えるほうに専念していた。「ええ、でもちょっとわがままをやりたくなったんです。私のテニスをもっと伝えられるような場を作ろうと思ってね。もっともっと小規模なものです。コートも一面しかありません」実務は友人に任せ、教えることに専念していると思ったのに、今の状態では、まだまだ不満足だと言うのだ。もっと教えるのにいい環境を作りたい、と言う。そして、彼は同時に、一0年間遠ざかっていたトーナメントに復帰することも宣言した。もうすぐ四十だ。家族もいる。『東京テニススクール』で教えていれば、生活に不自由はしないはずだ。「失敗したら、まあ、ラケット一本あれば、そこそこ家族を食わせるぐらいは稼ぎますから」キリストの行くところ、たとえ地の果てまでも従うのが弟子の務めだ。くはら私ももちろん、新しく久が原にできた彼のスクールに移った。そして、年末から正月にかけて行なわれた『京王シングルステニスオープン』へも、応援に出かけたのである。そして、この時、初めて私は、昔Hマムシの恭司と呼ばれていた八木沢コlチの試合を見た。彼のテニスは、背筋を真っ直ぐに伸ばして打つところや、ほとんど表情を変えない様子が、私にはインドのクリシュナン選手を思わせた。

この打ち方だと、エネルギーの無駄使いなしに攻撃が可能な、効率のよいテニスができるのだ。ところが、長い間テニスをやっている人聞は、自分の打ちやすい打点、一番楽に打てる打点というのを持つようになっている。そしてそれは、「待って打つ」打点であることが多い。積極的に球に向かっていき、相手のスピードを利用しようというのではなく、自分の打点へ来るのを待って打っているのぞある。チに対して心を聞くことなく去っていった。八木沢コ私が「入った」のは、私には捨てるものが何もなかったからである。失敗して当たり前、すぐにうまくなるわけはないと思い、私にはこのコチ以外にない、言うとおりにしていれば、いずれ上達すると思っていたからなのだ。見ていると、若いにしろ年とっているにせよ、初歩から手ほどきを受ける人のほうが、うまくなっていく確率が高い。いわゆる手垢てあかのついてない状態がいいのだ。そして、歩みは鈍いが不器用なほどうまくなる。器用だとすぐできてしまった気がして、自己流に陥りやすい。また自分のリ/スポーツセンスに自信を持っている者も、素直に言うことを聞かない場合が多い。「幸福さいわいなるかな、心の貧まずしき者」である。それなら、まだテニスのテの字も知らない子どもなら、将来性も中年とは段違いだし、教え甲斐もあるのではないか、と思って、一度、ジュニアを教えたらと言ったことがある。すると彼は、ジュニアには礼儀知らずが多くて素直に習わないから教えたくないと言った。かつて教えようとしたこともあったが、ものになった子はいなかったようだ。「親がねえ」と、彼は溜息をついた。「親がだめなんですよ。親が礼儀知らずで子がきちんとしているわけはない」「そんなもんですか。全然テニスを知らない子なら、一から八木沢さんが教えれば、砂に水が吸い込まれるように、どんどん技術を吸収する、と思ったんですがねえ」「いや、技術よりまず礼儀です。親が礼儀をきちんと教えている子なら、私は喜んで教えます。そうでない子は、技術以前に言うことを聞きませんから、教えてもだめですね」わがキリストは、本物のキリストと違って、命がけでテニス教をひろめる、というようなことはしない。積極的に信徒を勧誘することもやらない。しかし、彼は彼のテニスを、誰かに伝えたいという強い気持ちを持っている。うにあり、限界がある。これ以上は体がもちません、と音をあげる。そんな時、彼はとても残念そうでした。

信じるというのは、いささかの疑い、何ミクロンかでも、疑いの心があってはいけないのである。全身全霊で信じなければ「信じる」とは言ってはいけないのである。--’”LMト(私にしさてそうなると、奇跡を体験した私は、この喜びを友だちにも分けたいと考えるようになる。誰彼かまわずつかまえては、レッスンの効果を説き、受けることをすすめて回るようになった。以前、いやがって逃げていた新興宗教のしや〈ぷ〈折伏ヘというのを、いつの間にか私もやっていたのである。多くの友だちが私の熱意に動かされ、また、先日まではド下手もいいとこ、いったいどうなるのかと周囲に溜息をつかせていた私のテエスが、彼のレスンを受けてからというもの、少しは見られるようになっていたこともあって、八木沢コチのレしかし、結果は意外なことになった。ほとんどが、ちっともうまくならない、と言ってやめてしまったのだ。スンを受けるようになった。私はさっぱり理由が分からなくて、頭をかかえてしまった。みんな子どもの噴からテニスに親しんでいる連中ばかりで、私など、及びもつかないくらいうまい。あれだけうまいなら、八木沢コチのレスンを受ければもっとうまくなる、と思っていたのに:::。しかし、その時、またもや聖書の言葉が浮かんだ。ある金持ちの青年が「ポ遠の命を得るためには、どうすればいいか」とキリストに聞いた。するとキリストは「持っているものをすべて手放しなさい。そうすれば天に宝を見つけられる」と私の友人たちは、いずれも自慢の技術を持っていた。しかし八木沢コチから見れば、そんなそこで、彼はそんなものは捨てなさい、と言う。より高い技術を得るためには、財産だと信守しているこれまで持っていた技術を捨てなさい、と、口に出してこそ言わないが、無言のうちに求めているのである。友人たちは、得意技を引っ込め、新しく教えられたとおりにやってみた。そのとおりに打てばスーパーショットが打てる、と思って。しかし失敗してしまうのである。これは当たり前だ。今までと違うリズムで、まるで違う打ち方をするのだから、失敗するのは当たり前なのだ。ところが彼らはそうは思わない。あっ、失敗した、こんなにうまい私が失敗してしまった、と恥ずかしく思う。次に、失敗するんじゃ、こんな打ち方をしても仕方がないな、と思う。たとえば彼は、球はなるべく早いうち、相手の球のスピードが落ちないうちに打てと教えていたのです。

するとキリストは「私のあとについてきなさい」と言ったのでaeたのである。体はきついが、うまくなるためには、あのコチに教えてもらうのがいい。私は彼のスケジュールを調べ、追いかけ回した。もちろん質問も熱心にする。先生というのはどのような先生でもそうだが、生徒が熱心だとむこうも熱意を持って教えてくれるものである。何もせずに待っていては、いつまでたっても先生の熱意は期待できない。そのうち、私の熱心さが通じたか「私の個人レッスンを一時間受けたら、もっとうまくなりますよ」と言ってくれるようになった。スンねえ:::。受けたいのはヤマヤマだが、炎天下で彼にしごかれたら倒れてしまうふんぺつのではないか。中年の分別は、スポ根ドラマの女主人公気分に。ブレーキをかけたのだが、テニス中毒には効かなかった。下手なくせに見栄を張って、私は彼のレッスンを受けることにした。結果は、ほとんど意識がなくなるまで振り回され、醸鵬もうろうとなって四万円もするラケットを車の屋根に乗せたまま発進した挙句、失くしてしまうということになった。だが、ラケットは失くしたが、そのかわりに凄いものを得た。それが、私にとってのキリストの発見である。信じれば奇跡が起こるキリストが湖の上を歩くのを見て、弟子のペテロは「私にも渡れるでしょうか?」と聞いた。ちゅうちょある。キリストを信じていたペテロは鴎膳なくついていった。そうしたら、奇跡が起こった。彼もまた、キリストと同じように水の上を歩くことができたのである。しかし次の瞬間、風の強さにふと、彼の心に迷いが生じる。沈むのではないか、と思ったのだ。そう考えた時、彼の体は水の中に沈んでいった。キリストは、ペテロを救い上げながら言う。「なぜ、私を信じきらなかったのか」この逸話を読んで、例によって私は疑っていた。いくらなんでも、信じるだけで水の上を歩けるわけはない。これは誇張して書いてあるのだと。ところが、私は八木沢コチのレyスンを受けることによって、これと同じ奇跡を体験してしまったのである。彼の言うとおりにやって、絶対に打てるはずがないスーパーシヨてみれば)が、どんどん打てたのだ。いや、打たされたといったほうが正解である。打たされたのだ、彼を信じることによって。そして、「信じる」ということに関して、今まで私が何かを信じたと思い込んでいたのは、あれはみな錯覚だったということにも気がついたのでした。

大酒飲みで大食らい、政治・経済・学聞に一切無関係:::、アレ、前に会ったことがあるような、と思ったら、そう、ミュジシャンと頭の構造がソックりなのである。ただし、手にするのは楽器ならぬラケット、そして昼間は、お日様の下で走り回って、夜はパlパ!なら、こっちは健康カパ(アパともにミュージシャンのひつくりかえし言葉です)だ。彼らを見ていると、下手なスラプスティック小説を読むよりもよほど面白い。私の日記はテニスのことより、彼らについての記述のほうが多いくらいだ。あるコチは、バレンタインにもらうチョコレートの数に異常なくらいこだわっていて、毎年バレンタインデのすぐ次の白から、女の生徒に、翌年のチョコレートの予約をして回っていた。車狂いでフェアレディを暴走族車仕様に改造し、ちょっと派手っぽいギャル生徒がいると、すぐに誘って横に乗せ、そのまま先輩の試合に連れて行き、先輩が世紀の攻防戦を繰り広げている横、カパで、ひとつのプタマンをふたりでかぶりつく、というようなことをやってのけていた。あるコチは、レッスンのない日は黒のエナメルの靴に赤いシャツという、まるで田舎のプレスリーのいでたちで、ギャルの前に現われては気取っていた。あるコ1チは「おれは頭も軽いが、足も軽い」と妙な自慢をしていた。彼は給料を全部食べてしまうので、なかなか結婚できない。あるコチは、食事をするのが面倒くさいとチョコレートしか食べなかったので、とうとう歯ぐきが腐って入院、手術する羽目になった。もう、誰ひとりとしてまともなのはいないというくらい、おかしな男たちばかりなのである。そして、そういうコチたちのヘッドが、最初に紹介した八木沢ヘッドコチであった。彼は、さすがに若いコチたちのようにバカはやらなかったが、かといって冷静な知識人というのでもなく、どっしりと落ち着いた雰囲気のわりには聞が抜けている、というような、要するに彼もやはり体育会系統の人間であった。彼はコチたちからは神様のように尊敬されているのだが、生徒からは煙たがられていて、彼のレッスンを喜んで受けたいという者はあまりいなかった。他のコチのようにサービスしてくれるわけでもなく、お世辞も言わず、手抜きなしのレッスンは楽しくはなかったからだ。しかし、彼のレッスンを受けると、確実に腕が上がった。何人もいちじるの生徒に混じってのほんの短い時間ではあったが、運動神経ゼロの私でも著しい効果が見られ個人レ今から二年近く昔の話です。